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それは、信頼のしるし。犬が“心を預けている”ときにすること

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いつものように、こむぎと一緒にソファでくつろいでいたときのこと。
ふと私の方を見て、あくびをひとつ。そして、前足をぐっと伸ばして、私の膝にあごをちょこん。

その仕草に、私はなんともいえない安心を感じた。

犬は言葉を話さないけれど、“信頼してるよ”ってちゃんと伝えてくる。
それは言葉じゃなくて、仕草で、呼吸で、距離感で。

たとえば、背中を向けて寝ること。
たとえば、おなかを見せて転がること。
たとえば、いつの間にか私のそばで眠ってしまうこと。

どれも、無防備という名の信頼のかたちだと思っている。

信頼している人には、アイコンタクトも自然と増える。
目をじっと見てくるあのまなざしは、「ねえ、きみを見てるよ」と言っているようなもの。
そしてそのまなざしの奥には、安心感がにじんでいる。

あとは、後ろを任せてくることも。
散歩中、私の少し前を歩きながら、でもふいに振り返ってこちらを確認する。
「いるよね?」って確かめて、安心したようにまた前を向く。

ときには、わざと足元にピタッと体を寄せて座ることもある。
それは、「ここにいていい?」というより、「ここがいちばん安心なんだ」って言っているみたい。

信頼は、奪うものじゃない。築いていくもの。
時間をかけて、触れ合って、すこしずつ、そっと育っていく。

犬が見せるその仕草に、私たち飼い主もまた、心をほどいているのかもしれない。
「ありがとう。信じてくれて」と思うたびに、またこむぎと過ごす時間が愛おしくなる。


■ 背中を向けて寝るのは「任せている」証拠

犬にとって背中は“守らなければならない場所”のひとつ。
そんな大切な部分を見せて、しかも目を閉じて眠るというのは、警戒をといて心から安心している状態なんだそう。

「この人といるときは、警戒しなくてもいいんだよね」
そう言ってもらえているようで、なんだか誇らしくなる。


■ おなかを見せる、という無防備さ

おなかを見せてゴロンとひっくり返るときも、同じ。
遊びたくてテンションが上がっているときもあるけれど、心底信頼していないとできない体勢。

「なでて?」じゃなくて、「信じてるから見せちゃうね」みたいな、ちょっとした照れ隠しみたいにも見えて、愛おしくなる。


■ 飼い主の後をついてくる。でも、それだけじゃない

「犬が信頼している人には後をついてくる」ってよく言われる。
たしかに、家の中でも私が移動するとこむぎもついてくることがある。
でも最近、ついてこない日も増えた。

私が洗濯物を干しにベランダに出ても、ふと見るとそのままソファで寝ている。
“安心して、離れていられる”ことも、実は信頼の証なんだと気づいた。


■ 信頼には時間がかかる。でも、積み重ねは裏切らない

もちろん、初めからこんなふうに心を開いてくれていたわけじゃない。
来たばかりのころは、ごはんを出すときにちょっと距離をとられたり、目が合うとすぐにそらされたり。
こちらの動きをじっと観察しているような視線に、「怖がらせちゃったかな」と思ったこともあった。

でも、毎日同じリズムで過ごして、声をかけて、名前を呼んで、散歩に行って――
そういう“なんでもない日々”の積み重ねが、少しずつ距離を縮めてくれた。


■ 目が合ったときに、ゆっくりまばたきを返してくれるとき

犬が目を合わせてくるのは、実はかなりの信頼行動。
そのうえで、ゆっくりまばたきを返してくれる瞬間があると、
「今、ちゃんとつながってるんだな」と感じる。

言葉はいらない。
でも、ちゃんと“伝わってる”。


■ まとめ|信頼って、形じゃなくて空気でわかるもの

犬と暮らしていると、「信頼されてるかな?」と不安になることもある。
でも、答えはたいてい、その仕草や目線の中にある。
背中を向けてくれること。
そばで眠ってくれること。
何気ないタイミングで、そっと鼻をつけてくること。

それは、たぶん、
「だいじょうぶ、ここにいるよ」というメッセージ。

信頼って、形じゃなくて、空気でわかるものなんだと思う。

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